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自分らしさを発揮する

今日のアウトプット

積極的にノイズを出している。やはりYouTubeを見た後とかはメンタルがざわつく事が多い。余計な情報を入れてしまうと余計な感情にダメージを受けることが多い。今まで愚痴とか弱音はなるべく吐き出さないほうがいいと思っていた。

引き寄せの法則とかにハマっていた時期に前向きな言葉を使うとよい的な事が書いていたので無理やり前向きな言葉を思い浮かべたりしたが、逆に苦しくなる事が多々あった。今はのべつまくなしに思ってることを吐き出しまくってる。出した後に改めて読んでみると他人事のように思えてくる。これはいまだに不思議だなと思う。

 

インプット過多になると人と絡まなくなる
頭に余白ができてくると、人と絡む余裕も出てくる。自分が人と絡まなくなるほとんどの理由がインプット過多だと思う。頭の中に訳の分からない情報を詰め込みすぎて自分の感情ではないネガティヴなものを自分の感情だと思い込んでしまい、人との距離を徐々に遠ざけてしまう。こうなると元に戻るのに時間がかかるし、どんどん落ちていくので要注意だと思う。


醜い感情ほど気づきずらい
ノイズ出しをやっていると「思ってるのに言おうとしない言葉」があることに気づいた。それらはかなり幼稚でわがままな未熟な感情だったりする。うっすらと感じているのに何故か無意識にブロックをして外に出るのを自分で止めているような感覚。最近はうっすらとでも感じたことは書くようにしてるし、そこを出していくと妙にスッキリする事が多い。なんとゆうか、非常に幼稚で醜い感情ほど、脳のキャパを占拠しているのではないか?と最近は感じる。ネガティブ情報ほど、脳内をかなり広く占拠してしまうのかもしれない。

 

消化に悪いものを食べると下痢をしたり、顔にぶつぶつができたり、腹を痛くしたり、熱が出たりする。醜い感情ほど、外に出にくい性質を持っていて自分でも気づかない暗闇の方に隠れているような気がする。それは自分自身で無意識に蓋をしてる可能性もあるし、自分自身が暗くなっていると見えない感情なのかもしれない。自分自身のエネルギーが高まっていくと心の中に光が灯り闇に隠れていた醜い感情にも気づけるのかもしれない。これはかなり大きな気づきだ。

 

光の住人と闇の住人
よく、他人の欠点を探すことに躍起になる人を見かけるが、ああいう人も、自分自身の視野の狭さに気づいてないだけだと思う。他人の欠点ではなくて良いところに目を向ける視野の広さがあればわざわざ粗探しなんてしなくてもいいのに、エネルギーが低かったり、陰湿な状態になると欠点しか見えなくなるのだと思う。人の長所が見える人は共通して明るい人が多いし、他人の悪口を言わない人が多い。これは性格の違いだと前は思っていたがシンプルにエネルギーの違いではないかと考えている。

 

明るい人の雰囲気というのは、やはり周りの人を巻き込んでいくし周りの人を照らしていくようなイメージがある。常に発光してるイメージ。
逆に暗い人の雰囲気は、1人で縮こまって下を向いて小さくまとまってるようなイメージ。影に隠れてどうか自分の存在が周りに知られないようにとコソコソしてるイメージ。

 

光の住人と、闇の住人の体質の違いのようにも思う。

 

自分も調子を崩すとすぐに闇の住人になってしまうが、太陽が昇って沈むかのように、どんな人にも光と闇があるのが自然だと思う。大事なのは光の総量を自分の中に増やしていくことかなと最近は思う。